怒涛の社会人編に入る前に私の生い立ちについて書いておこうと思います。
実家の方は持ち家でして、都心から50キロ圏内に一応ありました。
今では野山や田んぼを造成して新興住宅地やニュータウンができて、人口増加が著しいですが、私が子供のころは一面田んぼばかりで、あぜ道を探検したり用水路でザリガニ釣りなどをしてよく遊びましたね。(懐かしい…。)

親父の職業は自営業(自由業?)で、子供の頃は近所のおばさんを雇ったりして、そこそこ裕福な家庭だったと思います。
ところが第1次オイルショックのあおりを受けて、事業のほとんどがダメになってしまったと思います。
母親もパートで働くようになり、親父の方もだいぶ苦労したことと思います。

私が小学校4年生の時だったと思います。
普段酒を飲まない親父が珍しく酔っぱらって帰ってきました。
私は布団に入っていて、もう寝ていたんですが、親父の泣きじゃくる声で目が覚めました。
私の名前と弟の名前を呼びながら何度も「申し訳ね~申し訳ね~、、、」と泣きながら言っていたんですね。
そばでは母親がなだめていました。
私は布団の中で「親父は苦労しているんだな。」と思いつつ、「よし!大きくなったら俺が何とかするからな!」と、心に誓った夜の出来事でした。

子供の頃から物欲が強くて(性欲も)欲しいと思った物は手に入れないと気が済まない方で、よく母親におねだりして買ってもらっていましたが、あの夜以来、おねだりはやめました。
新聞配達も短期間でしたが、小学校6年生から始めた記憶があります。

こんな感じでした。
次からは怒涛の社会人編です。
続く…